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人生のためになる言葉があったりなかったり。
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「いかにも“純粋で真っすぐ”みたいな感じ。イラッとする」

それは思わず零れた本音だった。

***

「気合いで身長差は埋まらない。努力で全部なんとかなると思ったら、大間違いなんだよ。」

それは、本当は、自分に言い聞かせた言葉でもあるのだ。
中学生の時、公式戦で北一とあたった自分は、その時はMBではなくセッターだった。
クレバーなトス回しで、ネットの向こうを翻弄したけれど、影山にはかなわなかった。
“コート上の王様”
そう揶揄されているのに、チームメイトはその自己中心的で横暴で、我儘なトスを、許していて
(どうしてそんな態度が許される?)
そう思いはしたが、勝ったのは北一で、結局は結果が全てなのだと、その時に悟った。
高校に入学したとき、バレーボールを続けるか迷っていたが

「ツッキー、王様が隣のクラスにいるよ」

山口のその一言が、入部の最後の、後押しになった。
間近で接してみると、“王様”は部活馬鹿というか、頭が悪いンじゃないかと思う。
自分の成績だったら、白鳥沢にだって入学できる偏差値を維持していたが、烏野にしたのは、家族への反発だ。

***

“王様”は僕のことなんか覚えていなかった。
でも、日向のことは、覚えていた。
敵愾心を剥き出しにしてくる、スピッツの仔犬みたいな同級生は、可愛いとは思うけれども、ニコイチあつかいで連んでいるのを目の当たりにすると、優しく接することができないでいる。


「中学のことなんか知らねえ!!おれにとっては、どんなトスだって、ありがたぁ~いトスなんだ!!おれは、どこにだってとぶ!!どんな球だって打つ!!だから、おれにトス、持ってこい!!!」

セッターとして、そんな言葉を貰えたら、どれ程、冥利に尽きるだろう。
“天才”のいるコートで、セッターとしての道は閉ざされ、汚れた感情に支配されていても、それでも、自分なりに精一杯だった。
あの頃。

***
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「最年少市議、当選おめでとうございます」

というローカル番組の女性キャスターの言葉に

「ありがとうございます。皆様のおかげです。」

にこやかに微笑み、望まれるであろう言葉を口にする。
自分の容姿が、女性受けすることも心得ていて、もう幼い頃から、こういう愛想笑いが板についているのが、自分でもイヤで、本来の月島は皮肉屋だが、不思議と悪評は立たず、地元のエリートコースに反発して、入学した公立の高校でバレーボールを続けていた時は

「ほどほどにな」

と言う祖父の言葉に、内心反発していたが、結局、最終的には逆らうコトはできなかった。

なぜか寧ろ

「歯に衣着せぬ、新進気鋭」
「コレからの烏野市のホープ」
「期待のニューリーダー」

などと評判が立っているが、所詮は父が次ぐはずだった地盤を継いだに過ぎない。
祖父は二世議員と呼ばれ、自分は父親の後に四世議員になるべく育てられたが、祖父の後の地盤を継ぐのは、
入り婿の父ではなく、自分になった。

「学生の内までだぞ」

そう言われていた。
自分が生きていく道は決められていて、情熱や無垢さ、執着や純粋さすらも、どこか諦めていた。
(あの時が僕の人生の一番輝いていた時期だ)
振り返って、初めて分かる。
高校三年生のG.W.。
音駒との3回目の対戦の前日、合宿塔のロビーで就寝前に水分補給がしたくなった僕は、自販機へむかうと、そこには烏養コーチが居た。

「オマエも色々と、俺の采配に不満はあるだろうが、着いてきてくれて、アリガトな。」

コーチにそんな言葉をかけて貰うとはおもっていなかったので、返答に詰まっていると

「俺の青春はココにあったから、戻って来たくなかった。でも、ヤル以上は、負けるわけにはいかない。」

そんな熱い気持ちでは、正直無かったように想うけど、けれども、アノ時が、自分の最高に熱い時期だった。

***

「強豪の、烏野高校、男子バレーボール部で、活躍なさっていたそうですね?」

キャスターが尋ねるのも、お約束の、誰もが知っている、自分の売り。
MBでスタメンだった3年生の時に、烏野は全国優勝を果たし、その名を轟かした。
それが二世・三世に世間が厳しい風潮の中で、今回の当選に繋がった。
祖父は言った。

「お遊びはほどほどにしなさい」

父親もそう追従していたのに、掌を返したように、自分を自慢の孫として、後継者として連れ歩く祖父に対し、目を背けた。
祖父は父を見捨てて、自分を後継に選んだ。

「次の選挙では、蛍を後継者として、後援会にお披露目し、更なる地盤を固める」

その言葉に、父は逆らいはしなかった。

***

恵まれた身長と、長い手足。
クレバーと言われ、熱さはなかったかもしれないが、頭脳派ではあったと、自負している。

今でも、世界のコートで、戦い続けてる、かつてのチームメイトがいる。
コート。
僕はもう、戻れない場所。

「“翼”がないから、人は、飛び方を探すのだ。」

初代の烏養コーチの、正しく名言だと、この歳になって、想う。

地に落ちた烏ですらない。
僕には、最初から“翼”は、無かったのだ。



Photo by RainDrop
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